魂(たま)合気研究会

 

七、心の居着き

この世界は、あい矛盾したものが同時に存在するからこそ、矛盾として葛藤が生じてきます。
合気とスポーツもまたあい反する関係にあり、身体の使い方などでも矛盾が生じます。
何事もそうですが「こうあるべき」と言っても絶対ではなく、答えは陰陽のようにまったく反対側にも、あい反する正解があるようです。
答えが一つと思って拘ると否定しか生じません。ある本に日本は二本立て、答えはひとつではない、あいまいさ、あるいは許容性が大きいのが日本人の特性であると書かれていましたが、その通りと思います。
スポーツ的な動きが常識として定着している中で、合気はそれと反対のことが多いので否定したい気持が生じかねません。
しかし否定してしまうとそこで停滞してしまいます。
全ては流動している(無常)のが自然の姿ととらえ心を常に柔らかくして、即座に否定はせずに、一旦受け入れて、体験の中から判断していくことが大切です。即座に否定せずに建設的な稽古から、ひらめきも生まれます。
ひらめきが本物であれば、そこから感動も笑いも生まれます。ひらめきは神様からのご指導と思います。
「外のことは、みな己のことというのが、はっきり分かってくる」(合45)と合気真髄にあります。出てきた現象は、全て自分のものであって、必然であると解れば否定は無くなり、試練もお蔭様と感謝することで乗り越えられると書かれています。
何事も心から納得するには体験しかないのですが、合気もまた体験することで理解できると思います。
「合気は、魂の比礼振りですから、絶対に形の無い学びであります」(合26)比礼振りとは、大国主神が薄布(比礼)をひらひらと振って毒蛇やむかでなどを追い払ったという神話が元ですが、比礼を振るが如く気が流れると自分も相手も動きます。
「形の無い学び」というように、形稽古が主と思って稽古していると合気の本質から離れて行きます。「
ものというものが主になると、気が停滞する。そうすると、どう動きようもなくなる」(武151)とあります。
これは身体の力を主にすると気は停滞する、しかし魂を主とすれば気は停滞しないと読むことができます。合気は意識のあり方で様々な結果が生まれます。やはり魂の比礼振りなのです。